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アートコラム

2022/05/10

財団設立40周年記念インタビュー「江東区の文化~未来へ~」第1回

「俳句と江東」

芭蕉にとっての深川

 深川は松尾芭蕉が「古池や蛙飛びこむ水のおと」の句を詠んだ場所で、とても重要な地です。芭蕉を語る上で古池の句と、その舞台となった深川を外して考えることはできません。

 芭蕉は古池の句をきっかけに自分の俳句の道「蕉風」を見いだし、心の世界を俳句に展開しています。古池の句を詠んだのは貞享3年(1686)43歳の時ですから、51歳で亡くなるまでの8年間、芭蕉は自分の心の世界を探求し、和歌の伝統と同じように、心の世界を詠む文学に俳句を変えたのです。
 芭蕉が日本橋から深川に移住したのは37歳の時、古池の句を詠む6年前の延宝8年(1680)でした。29歳で故郷の伊賀上野から江戸に出て、俳句を詠みながら土木事業などの実業で生計を立てていたと推測されます。当時の深川は今とは違い家もなく、埋め立てたばかりの新興地でした。なぜ芭蕉は川を渡って深川に移住したのか。要するに自分は文学という虚の世界で生きていくんだという決意表明を、移住という形で表したということです。ここがとても大事で、その決意から6年後に古池の句を詠んで心の世界を開いたのです。
 王朝時代や中世には、世俗の生活を捨て仏道に入る出家があり、歌人の西行は文学に専念するため出家というスタイルを取りました。芭蕉の深川移住もこれと似ていて、彼なりの一種の出家であったと考えています。

芭蕉記念館を文化の中心に

 芭蕉あっての江東区ですから、芭蕉記念館はもっと江東区の文化の中心になって欲しいですね。常々思っていることが二つあります。一つは江東区を「国際俳句都市」にして欲しい。俳句都市といえば子規が生まれた松山や、芭蕉が生まれた伊賀上野などがありますが、芭蕉が「芭蕉」と名乗り、古池の句を詠んだ土地であり、『おくのほそ道』の出発点である江東区こそ、国際俳句都市にふさわしい。
 江東区では芭蕉庵国際俳句大会を4年前から開催し、英語俳句大会の選者をしていますが、携わってみて「世界の江東区」を感じます。こども俳句大会も盛んですし、石田波郷や小林一茶などゆかりの俳人の地もあります。国際俳句都市としてふさわしい条件をすでに十分備えています。この国際俳句都市、江東区の中心になるのは芭蕉記念館しかありません。
 もう一つは、毎年、市区町村が持ち回りで「奥の細道サミット」を開催していますが、芭蕉が歩いた『おくのほそ道』の全ルートを世界遺産に登録する運動を江東区が率先してやるべきだと思っています。サミットでもそういう動きはありますが、実現すれば全ルートの市区町村にとってたいへん有意義なことです。これも中心になるのは出発点である江東区しかありません。かつてあった俳句世界遺産運動は俳句という文学にとって害がありすぎるので、やめるべきです。その代わりとしてぜひ『おくのほそ道』全ルート世界遺産運動に取り組んでいただきたい。

俳句のこれから

 これまでの日本人は生活のために一生懸命でした。そういう時代に俳句はほとんど役に立ちません。しかし俳句はあわただしい生活の中でちょっと立ち止まって人生や世界や宇宙について考えるよいきっかけになります。役に立たないところが俳句のよいところでもあり、そこを大事にしてほしいですね。
 これから俳句を始める方にとってまず大事なのはよい先生を選ぶこと、これに尽きます。初心者は誰がよいか分からないので悩ましいところですが、作品や文章を読んで「この人だ」と思ったら2年間はだまって先生の言うとおりにする。それでダメだったらさっさとやめればよろしい。一貫した考えを持って教えてくれる人に出会えるとよいですね。

(聞き手/片山祐子)

プロフィール

長谷川 櫂(はせがわ かい)さん

1954年熊本生まれ。俳人。俳句結社「古志」前主宰。「季語と歳時記の会」代表。朝日新聞俳壇選者。読売新聞に歌詩コラム「四季」連載。インターネットサイト「俳句的生活」でネット投句他主宰。

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