俳人石田波郷は、昭和21年から約12年間江東区に住み、当時の江東区の様子を「焦土諷詠(しょうどふうえい)」として多くの俳句に詠みました。波郷は戦後の俳壇を先導し、わが国の俳句文学に大きな功績を残しています。
その功績と人間像、江東区との関わりを紹介し顕彰するため、平成12年12月に、波郷自身が「第二の故郷」と呼んだこの地に石田波郷記念館を開設しました。
記念館では、波郷の俳句文学活動、その生涯などをご遺族から寄贈された遺品・作品を中心に展示紹介しています。
大正2年(1913) | 愛媛県温泉郡垣生(はぶ)村(現・松山市)に生まれる。本名・哲大(てつお) |
昭和7年(1932) | 俳誌「馬醉木」の巻頭を占める。上京し水原秋櫻子に師事。 |
昭和12年(1937) | 俳誌「鶴」創刊、主宰者となる。 |
昭和21年(1946) | 江東区北砂町1-805(現・北砂2丁目付近)に転居。 |
昭和23年(1948) | 国立東京療養所(現・清瀬市 東京病院)に入院。2回にわたり胸郭形成手術をおこなう。 |
昭和30年(1955) | 『定本石田波郷全句集』により第6回読売文学賞受賞。 |
昭和32年(1957) | 3月19日より読売新聞江東版に「江東歳時記」を連載開始(昭和33年2月まで)。 |
昭和34年(1959) | 朝日新聞俳壇撰者となる。 |
昭和44年(1969) | 『酒中花』により芸術選奨文部大臣賞受賞。 11月21日死去。 |
はこべらや焦土の色の雀ども
百方の焼けて年逝く小名木川
砂町は冬木だになし死に得んや
一樹無き小学校に吾子を入れぬ
砂町も古りぬ冬日に温められ
小名木川駅春の上潮曇るなり
寒雀汝も砂町に煤けしや